![]() マセラティはマセラティ3兄弟が1914年、イタリアのボローニャでスポーツカー・イソッタフラスキーニのレース用チューナーとして産声を上げました。1926年マセラティの名を冠した初めての車、ティーポ26以来一貫してスポーツカー専業であるだけに幾度と無く経営難に見舞われ、その都度奇跡的に救世主が現れ生き延びて来た不思議な強運の持ち主というべきメーカーです。 ![]() その昔シトロエンとマセラティは伊・仏の同じラテン民族の関係と言うだけでなく、民族系メーカー全盛の時代にあっては珍しく資本関係で結ばれると言う、国境を越えた歴史上の婚姻がありました。60年代イタリアのマセラティは経営難から財政危機に陥り、シトロエンに援助を求めたのです。まるで<シェークスピアの悲劇>を地で行ってるようで可笑しいですね。 ![]() 当時シトロエンはFF(前輪駆動)先駆者としての意地もあり、時速200km超のスーパーカーを計画していたのですが、それに見合った大排気量エンジンの持ち合わせが無く、この提携関係を機に開発をマセラティの豊かな胸に?委ねたのです。 ![]() 愛の結実がマセラティのエンジンを積んだSMやシトロエン特許のハイドロニューマティックシステムをブレーキに採用したマセラティ・ボーラに開花し、SMとエンジン及びパワーセンタリングまで共用したメラクとなり、クワトロポルテUに至っては遂にサスペンションまでハイドロとなり、メカニズムはSMそのものとなって誕生するのですが蜜月はそう長続きせず、やがて70年代に入りこの結婚も破局に至って解消したと言う経緯がありました。ラテン的情熱は激しくもあり悲しくもあり・・・。 ![]() その後またもや貧乏のどん底に陥ったマセラティは、幸運な事に南米のラテン紳士・アルゼンチン出身で元レーシングドライバー、マセラティのドライバーとしても活躍した大富豪アレッサンドロ・デ・トマソの情熱に拠って救われ、彼の戦略のもとにこれまでの大排気量スーパースポーツ路線を止めて、小型で華麗なスポーツカーのマーケットを狙うべく勇躍開発が始まったのです。 ![]() その結果生まれたのが1981年の暮れに発表され、略15年に亘って作り続けられたヒット昨、ビトゥルボシリーズです。外見はあくまでも地味で優雅なオトナのセダンを装い、内装は木と皮で覆い尽くした豪華極まりないシックな仕上げ、V型・6気筒・2000cc前後のエンジンにスーパーチャージャーを2つも搭載した高級なスポーツカーだったのです。 ![]() 外見は地味に、下着や裏地に凝り、オツムを磨くのは洋の東西を通じて伊達男の常套手段。何時から忘れてしまったのかな〜、外見ばかり着飾る日本人が多くなってしまって・・・。 ![]() 後にエンジン排気量は2500ccとなり、最終的には2800ccまで拡大し、イタリアを始めヨーロッパの貴族階級やアメリカの富豪に愛好されました。 ![]() デ・トマソの目論見は見事に当たり、マセラティは息を吹き返し、着実に販売を伸ばした結果、ビトルボシリーズにもクワトロポルテと言う文字通り4ドアのシリーズまでラインナップに加えるなど、幸福な一時代を築いていきます。 ![]() 中でも1984年、カロッツェリア・ザガートにデザインと制作を依頼したオープンカーがビトゥルボスパイダーの名で発売されましたが、1987年には排気量が2800ccに拡大され、ATが4段になるなどの変更を機にビトルボの名を廃し、カロッツェリア・ザガートの名を冠してスパイダーザガートと名称を変更しました。 |
![]() home |
![]() menu |
![]() next |